あれは平成二年の秋だったでしょうか。港が近い場所のせいか、やけに浜風が冷たく頬を叩く平日の朝だったように思います。私は、神奈川県のJR磯子駅を、すぐそこに見ながらも、どうすることもできず小一時間、辺りを見渡しながら弱っていました。寒さで身体も冷えきっていたように記憶しています。
冷たい風に吹かれながら小一時間も同じ場所で、何をしていたのか大変不可解に思われることでしょう。しかしながら、初めて訪れた場所で、電車に乗ろうとやって来たJR磯子駅は、歩道橋とつながっており随分高い所にあるのです。歩道橋の階段は急で、中央がこれまた急なスロ〜プになっていて、とても一人では上がれそうにないのです。他の駅に行こうにも、タクシーが一台も通らない。言い忘れていましたが、私は手動式の車椅子を使用しており、この急なスロ〜プを上がるにはどうしても助力を必要とし、誰かが通りかかるのを待っていたのです。
小一時間後待っている所に、最初に上からワイワイ・ガヤガヤと五、六人の中年のご婦人の一団が降りて来ました。この急なスロ〜プを介助してもらい上がり切ることは、ご婦人の力で大丈夫だろうか懸念していたまさにその時、中段ぐらい上の方から、
「上がりたいの!?」と澄み切った空気によく通る声がした。
本当は、わらをもすがりたい気持ちで一杯でしたが、私ははっきりとした返事をかえせないで戸惑っていた。頼みたいのはやまやまなれど・・・・・・・
そうこうしているうちに、中年のご婦人方はやることが早い、早い。私の膝の上にある荷物を、「これは車椅子を押すのに重いから、貴女持ってね。」と連れのお友だちに手渡し、「さあ、行くわよ!」と押し出した。私は嬉しい反面、不安と少し気がとがめた。ちょうど私の耳元で、荒い息使いが聞こえてくるのである。私は申し訳なくみょうに落ち着かないでいた。息使いはより激しく荒くなってきた。中段の踊り場まで来た頃には、もうバテバテのご様子。
「大丈夫ですか?」と声をかける。内心ここでだめなんて言われても困るのだが。頑張って下さいという激励の意味と自分への不安も取り除きたいがための言葉である。
こちらの意を察してか、「大丈夫よ! 少し休めばまた元気がでるから」と負けん気の強いお言葉に救われる。
一休みして、あと半分、頂上がすぐそこに見えるせいか、心持ち押される車椅子の速度も早くなったように感じる。はじめての見知らぬ土地で、まったくの他人にこんなに親切にされることへの喜びと何とも不思議な気持ちで一杯であった。上りきり駅まで送ってくれて、駅員に車椅子の人が、池袋まで行きたがっていることを伝えるやいなや、こちらが落ち着いてお礼を言う暇もなく、「それじゃあ、私たちはここまでね。」と言って、忙しそうに風のように去って行ってしまった。上り切ってからは、本当にあっという間の出来事であった。私は、ただただあっけにとられながら、今度は駅員の世話になっていた。
やっと落ち着いてさっきの出来事を、電車のなかで振り返ってみた。あんな急で長いスロ〜プを、全く知らない私のために車椅子を押して上がりきるなんて、なんて凄いパワ〜と人間愛に満ちあふれた女性達なんだろう。私の範疇では考えられないほどの優しさと、思いやりを持った人達に出会えたことへの喜びと、感謝の気持ちで一杯でした。温もりに触れた後というのは、知らず知らずのうちに、心が豊かになったような気がします。そして、あらゆる面で可能性が広がってくるようで、目の前が明るくなって来るのです。私の心も少し優しく、また積極的になれたような気がしています。本当に有り難うございました。
今でも、この時のことを思い出すたびに、落ち着いてお礼を言えなかったことを悔やむのです。いつか何らかの方法でお礼を言いたいと思っていましたので、この機会にホームページに載せました。文章を書くことが苦手ですので、読みずらいところがありましたらご容赦下さい。私の気持ちが少しでも、JR磯子駅でのご婦人方や皆さんに伝わることを願っております。
sennin より
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