町角のバリアフリーの意識

23) バリアフリーについての私の考え方

◎バリアフリーの考え方 

※障壁、障害となる壁(バリア)を取り除く(フリーにする)というバリアフリーという言葉は、バリアフリー・デザインという言葉と同意語として使われていることが多いように感じております。バリアフリー・デザインという言葉は、1974年(S49年)の国連障害者生活環境専門家会議の報告書に出てきた言葉のようですが、このページでは、高齢者や身体障害者が社会参加できるように国の法律や自治体の条例(まちづくり条例)でいうバリアフリー(バリアフリー・デザイン)と私の考えるバリアフリーについて述べたいと思っております。

※また、現状ではバリアフリー・デザインとユニバーサル・デザインのどちらが優れている考えかということを問題にするのではなく、「より良い社会」「過ごしやすいまち」を作って行くには両方必要であるということも述べておきます。 
 

 バリアフリーという言葉が本格的に日本に浸透してきたのは、1994年(平成6年)にハートビル法が施行されてからではないでしょうか。

 高齢者や身体障害者が利用しやすいように、建物について出入り口・通路の幅、手すりの設置、スロープ、便所などについて、整備基準ができたことで一般的に認識され始めたのではないかと思うのです。それで、「バリアフリー」障壁をなくすということが、健常者と同じように施設にアクセスできたり利用ができるということだけであると、勘違いする人も出てきたのではないかと思うのです。

 「バリアフリー・デザイン」を社会に浸透させるために、簡単に「バリアフリー」という言葉が使われるようになったのではないかと思っております。バリアフリー・デザインというのは施設の整備などの物理面だけでなく、文字放送、手話通訳などのコミュニケーションにおいてのバリアフリー化など、精神面や情報面というソフト面も含まれています。

 障害福祉課(岡山県福祉のまちづくり条例(施設整備マニュアル)では、バリアフリーを「心のバリアフリー」・「情報のバリアフリー」・「物のバリアフリー)に細分化しそれぞれ分かりやすくバリアフリーについて説明しています。

 また、法律や条例は、「より良い社会」「過ごしやすいまち」をつくることが目的でありますので、時代に応じて法律も進化するようです。建築物におけるハートビル法、公共交通機関においての交通バリアフリー法の名称はなくなり、その内容を統合して新たにバリアフリー新法(H18.12/20)となって施行されました。

 ハートビル法では、高齢者、身体障害者が対象でしたが、バリアフリー新法では高齢者、障害者(身体障害者だけでなく知的障害者・精神障害者を含む)・外国人・子供が対象となっているようです。

◎UD(ユニバーサル・デザイン)について

 UD(ユニバーサル・デザイン)という言葉は、約20年前、米国のノースカロライナ州立大学のロナルド・メイス教授が中心となって主催されたものです。

 UDというのは、7原則ありますが、おおざっぱに言えば高齢者や障害者に限らず、最大限可能な限り、すべての人々に利用しやすいように、最初からデザインしておくという考えであります。詳細は企画振興課(ユニバーサルデザイン推進班では、ユニバーサルデザインの7原則の説明とともに、精神的に広く解釈した場合に心のUDとして「思いやりの心」)にアクセスしてください。こちらもユニバーサル・デザインの7原則を拡大解釈して進化しようとしています。

◎私の考え

 私自身、障害を持っている者として考えた場合、上記のそれぞれの解釈をそれぞれの立場の考え方として、及び時代の流れのなかでバリアフリーやユニバーサルデザインを多くの方に広く知っていただくために推進しようとしているものとして有り難く感じております。

 私はもっと単純にバリアフリーとは、相手に対しての気遣いであったり思いやること、相手のことを考えることであると思っており、高齢者・障害を持っている方などに対してのみに使う言葉ではなく、健常者同士においても気遣うことは大切であり、おおよそ人と人との関係及び社会全般においてバリア(障壁)をフリー(なくす)にするという考えは重要であると思っております。

 また、ものを使用する場合や環境のなかで使用者に対する気遣いや思いやりを考えていった場合に、バリアフリー新法(まちづくり条例)の整備基準やユニバーサルデザインの7原則も当然考えられるべきことであると思うのです。


 ただ、相手を気遣うこと、思いやること、相手のことを考えるということについては、マニュアルがありませんので大変難しいものがあります。その場・その時に応じて適切な対応というのは、いざ実行するとなりますと真に奥が深い考え方でもあります。私自身、いつも相手を気遣うことができているかどうか自問自答すれば首を傾げてしまいます。

 ですから、私のバリアフリーの考え方(相手に対しての気遣い)は、訓練が必要になってきます。日々相手のことを気遣う気持ちを持ち続けることが訓練であり大切であると思うのです。

 相手に対して気遣いをして良いことはあるのか

 では、単純に「相手に対して気遣いや優しくすること」で何か良いことがあるのかと疑問に思う人がいるかもしれない。

 「相手に対しての気遣いや優しくすること」は損得勘定抜きの見返りを望まない行為であると思っております。ですから、大抵の場合その時点ですぐに得をするということは稀だと思います。

 バリアフリーは「障壁をなくす」ということですが、この社会でいろんな面で障壁をなくしてもらいたいと思っている人もいると思います。テレビを見ていても、もう少し配慮した言葉遣いであればいいのにと思うことがあります。それは福祉というジャンルに限らず、政治や教育他でも感じることがあります。

 「相手に対しての気遣いや優しくすること」は日々訓練であると思っておりますが、この気持ちを持ち続けることによって数ヵ月後、数年後、数十年後、かたちに現れてくるものだと思っております。真に不確かなんですが、すぐに結果が出ないからといって、「相手に対しての気遣いや優しくすること」を止めてしまったら幸せは遠ざかっていくかもしれません。なが〜い目で自分の人生を考えないといけないと思っています。

 例えば、病気や怪我をして自分の思うように身体が動かなくなってからでは遅いかもしれません。麻痺してしまった身体はお金では治せない、お金だけでは治せない場合があります。元の身体にならない場合だってあります。そんな時、人からの温かい励ましや、人と会話できることが何よりも嬉しいと感じることだってあるものです。

 きっといいことがあると思いたい(気遣いがある人のところに気遣いがある人が寄ってくる)⇒人とのふれあいで心が豊かになる(日々の生活が楽しくなる)

 現在の日本の現状

 国連では65歳以上を高齢者と定義していますが、日本は人口の14%を超えていますので既に高齢社会と呼ばれる状況にあります。

 このまま子供の出生率が増加しなければ、2020年には4人に1人が高齢者となると予想されています。超高齢社会になるわけです。

 ご高齢になっても歩行できている人もいますが、現在より車いす使用者がより増えてくると予想されます。また、脳血管障害によって脳の血管が切れたり詰まったりすると半身麻痺となり、軽いと歩行できますが重いと歩行困難となり車いすを使用することになります。糖尿病で足を切断しなければならない人もいます。中途障害では、業務上での転落や交通事故だけでなく、水泳・スキー・ラクビー・体操などのスポーツ、自転車・歩行中の事故や怪我など普段の生活においても、誰もが車いすを使用しなければならなくなるといった状況を皆さんが持っております。

 前述の状況により、高齢者や障害を持っている方のために、「ハートビル法」(1994年)、「交通バリアフリー法」(2000年)ができ現在はそれらの名称はなくなりましたが、前述の法律を引き継いで「バリアフリー新法」(2006年)(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)として昨年施行されました。

 そして、各自治体において「まちづくり条例」などが施行されたり、岡山県でもユニバーサルデザインを推進しようという動きがますます強くなってきております。そういった国や自治体の動きとともに、各個人においてもますます相手に対しての気遣いや思いやりが必要になってきていると感じております。

 国際的には、国連「障害者の権利条約」(2006年)のなかで、障害を持つ人々の市民的・政治的権利、アクセスの確保、教育を受ける権利、労働の権利、雇用の権利、社会保障などが盛り込まれていますが、日本政府も批准への検討を進めているとのことです(平成19年2月7日 毎日新聞より抜粋)。この条約の内容がどのようなかたちで具体的に導入されるか分りませんが、やはり日々各個人の相手に対しての気遣いや思いやりが大切であると思っております。 

 平成19年 10月上旬 現在

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